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ブレゲ 時計

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1954年にフランス海軍省の要請で開発された、リスターティング・フライバック機能搭載のタイプXXの第3世代モデル。デイト機能を追加装備した第4世代モデルトランスアトランティックとともに高い人気。
機械式時計の歴史の中で、燦然と輝くその名・・「アブラアン・ルイ・ブレゲ」。「時計の進化を200年早めた男」など、長きに渡る時計の歴史の中の数ある時計師の中でも至上の賛辞を送られる天才時計師。彼なくして、現代の機械式時計はありえないと言っても過言ではない。現在においても彼の発明した機械式時計の機構が基本となっている。
1747年、スイス ジュウ渓谷ヌーシャテルにアブラアン・ルイ・ブレゲは生まれる。15歳の時、時計師であった養父の紹介でフランスのベルサイユに修行に出る。そして 1775年、パリのシテ島に時計店を開く。国王ルイ16世の宮廷に出入りを許されるようになると、各国の宮廷、上流階級の顧客を得る。開店から5年、1780年にはペルレの自動巻き機構を改良した懐中時計「ペルペチュアル」が好評となり、王侯貴族からの注文が殺到。フランス王妃マリー・アントワネットは、当時の時計において最も複雑な時計の製作を依頼。だが、完成は先の話となる・・。1789年、フランス革命により王侯貴族の時代が終わり、ブルジョワ市民階級の時代が訪れると、市民からの弾圧を避けるべく、故郷スイスに戻ることとなる。
スイスでは、新機構開発に情熱を注ぐ。フランスの状況が好転するとパリに戻り、次々にアイデアを具現化していく。「トゥールビヨン」、「永久カレンダー」、「スプリットセコンド・クロノグラフ」など複雑時計を発表していく。また、「衝撃吸収装置」、「ブレゲひげゼンマイ」「ギョーシェ文字盤」、「ブレゲ針」、「ブレゲ数字」など、次々に開発していく。
ブレゲが開発した時計の中でも、同席者に気づかれず時刻がわかる時計「モントル・ア・タクト」は、ブルジョワ階級で人気を博す。当時の顧客名簿には、フランス王家、ナポレオン・ボナパルト、ジョージ・ワシントンや各国の王侯貴族が名を連ねた。1802年、マリー・アントワネットが、かつて注文した超複雑時計「No.160 マリー・アントワネット」が完成。マリー・アントワネットが処刑(1973年)されてから、約20年後のことである。1815年、2個のゼンマイを用いたトルク減衰のないマリンクロノメーターを開発、フランスの王立海軍時計師に認定される。 1823年、ブレゲ死去。ブレゲが培ってきた技術は弟子達に受け継がれていく。1870年、経営権がブラウン家へと移る。1970年代のクォーツショックにより経営に影響を受けるが、ショーメに経営権を移し、その後復興を果たす。現在は、スウォッチ・グループに籍を置く。
創業年 1775年
創業者 アブラアン・ルイ・ブレゲ
本 社 スイス ラベイ
公式サイト
ブレゲ
http://www.breguet.com/welcome.php

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一口メモ
ブレゲ クラシック・アラーム
ブランパンと共同開発したフレデリック・ピゲ製の新型キャリバーを搭載。アラーム用パワーリザーブ表示、アラームの時間設定表示やオンオフ表示のほか、第2時間帯表示も装備。
ギョーシェ彫リ
光の反射を抑えて、文字盤を見やすくするために付けられた繊細の彫金細工のこと、ブレゲが考案したもので、本来は熟練した職人が手作業で彫り上げていた。現在はプレス加工が多いものの、高級ブランドの一部では、職人技を継承している。
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